Resonance

快復への道のり

不如意

ふにょい。

 

考えないように、考えを反芻しないように、感覚を開いて、足裏や肌で感じることを大切に、と思っての滞在なのだが、文字があれば読んでしまうし、読めば意味を考えるし、それにつながる何かに思考が飛んだり、まつわる過去を掘り起こしたりしてしまいがち。

 

原生林の中だったりに行かない限りは、絶えずこの繰り返しかと思うと、脳の不出来さに絶望に近いものを覚える。

言語野をマスキングしてふらふらっと行けないものだろうか。

 

 

東本願寺は、真宗大谷派の総本山で、父方の曽祖母の葬儀にまつわる何かで雨の中、車で来たことを覚えている。

「今、命が私を生きている」みたいな標語が、でかでかと掲出されていたのだけれど、ドーキンスのいう利己的な遺伝子の乗り物か、はたまたミームのドライブする器か。

 

VESSELっていう演目を見たのも、ロームシアター京都だったな。

 

ああもうなにがなにやら。

目的的に生きることのつらさみたいなのにずっと向き合わされている。というか、離れられなくなってるだけなんだけど。

 

そしてまたこの言葉達も、自分に跳ね返ってくるんだから、困ったものだ。

 

書いて、燃やしてしまうのが良いのかもしれない。

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