Resonance

快復への道のり

傍観

自分の選んでいることが、主体的ではなく、傍観に見えることについて。

 

優先順位のつけ方もままならない僕にあっては、これまでも、そして今も、選択の傍観であったように思えてしまうのだ。

 

何かをしたい、は、ごく短期的な衝動でしかなくて、後先に繋げることを考えられていない。

 

津和野でカイコの育種をするであるだとか、瀬戸内市で害獣駆除をするだとか、奈良の山奥で森に携わる仕事をするだとか、果ては国境の島で、後継者のいない畜産業の担い手になるであるだとか。

 

どれでも、選べないことはないのだ。

 

ただ、ねぇ。

 

何がしたいんだろう。

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