Resonance

快復への道のり

分からない

分からない/分かる、に善し悪しはあるのだろうか。

分かり合えない、とかだととてもネガティヴな響きだけど、他人の考えなんて特に、分かるわけはない、という前提に立っておくのが僕のスタンスなのだが。

しかし、これもまた、あまり分かってもらえる考え方ではないだろうな、というのも感じていて。

自分の言いたい本質にすらたどり着けないのに、人に分からせようだなんて、そもそも無理なんじゃないか、という立場をとる。

分かった気になることは出来ても、分かることはないんじゃないかな。

そして、分からないことで、分かろうとするのならば、救いでもあると思うのだけれど。

分からないひとが分かろうとするのを諦めてしまうのは、それはそれで自由というか、僕の力の及ぶところではないのだ。

 

というわけで、コミュニケーションの前提をそもそも履き違えている可能性はあるのだけれど、コミュニケーションの前提なんてのもまた、ある種の幻想なんじゃないの。

同じ言語で話せているからというだけで分かり合える、ということがないように、ね。

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