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Resonance

快復への道のり

埋没

目線がどうにも過去方向を向いていることが多い。

後ろを振り返る、という捉え方をすればなんとなくネガティブだし、実際そうなのかもしれない。感傷に浸っていたり、後悔の念に溺れていたり、懐かしんでいたり、参照はしていても、これから、につながっていかない感じがしている。

長年書き残してきたWebを閉じてしまったことは、よかったと思う。更新しなくなってからも、半年以上は放置していたけれど、終わってしまったことを眺め返すことは、本当に、本当によくしていたから。

Twitterはそういう点で、実に優れている。Twilogという形でアーカイブしたり、logを吐き出させることもできるようだけれど、僕の非公開のアカウントでは、せいぜい2ヶ月程度しか遡って読むことができない。また、140字の中には大した思いも乗せられはしないのだ。

 

で、また回想してしまっていたのだけれど、今の会社で働き始めてからの記憶はびっくりするほど現在に繋がってないな。不連続な、そして、あまり思い出したくないけれど、わりと刺さった記憶たちが、いくつかあるだけだ。

職務経歴書という形で残されているし、会社アカウント宛の膨大なメールも2010年7月の入社以来、棄てていないし、その時々の有用なファイル類も、PCのリプレイスを乗り超えたものたちは遺してあるし、PDFの給与明細には月々の残業時間も記載されている。ひょっとしたら、勤怠管理システムをちょっと触れば、入社以来の勤怠がすべて見られるのではないだろうか。

 

切れ目のない2泊3日×6回の18日連続出張も、毎週土曜は必ず出勤していた時期も、6時30分新横浜発のぞみ3号も、東京駅からちょうど100分の浜松も、全部思い出せる。前代未聞のトラブル事例に割り振られていた症例番号も、クライアントも何年ぶりかで引っ張り出してきたという報告様式も、被災したその日も、計画停電対応も、あー、結構、いろいろと、あるじゃん。

 

で、何を学んで、何を得たんだっけ。

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