Resonance

快復への道のり

シンギュラリティ

特異点、といいつつ、技術的な特異点として多用されることの多い単語。レイ・カーツワイルの著書は読んでいない。

 

AIに国会答弁の下書きを任せることにしてみる、という記事を昨日読んだ。

国会期間中に国家公務員が朝まで残業して仕上げるという国会答弁の原稿書きが肩代わりされるのであれば、こんな楽なことはない。国家公務員の、中央官僚はそもそも、国会答弁の原稿を書くことが仕事ではないだろう。

本当の仕事は何か、について見直すいい機会になるといいのだが。

 

出張が重なった時に何が億劫だったかといえば、経費精算だ。

領収書を貼り付けて、移動経路と乗り換え駅の経由時間、新幹線なら何時何分の、のぞみ何号なのかまで書く必要があった。

あれが仕事かと言われれば、業務ではあるけれど仕事ではないだろう。

 

シンギュラリティといいつつ、卑近な例で申し訳ない限りだけれど、仕事未満の雑務たちが消えて無くなりますように。

 

研究者にとって研究とはなにか、と問われれば、仮説を立てて検証することであって、プログラミングやピペッティングやマウスの飼育も含めて、実験操作そのもの、は研究とは別の検証作業にすぎない。

論文を書くことでさえ、業績を残して、他者の検証を待つための作業にすぎないと思う。

実験操作や論文執筆が自動化されても何ら困らないどころか、その分、自分のアタマで考えられるのではないだろうか。

実験操作の間に閃いた、というような逸話も、結局のところ、実験操作ばかりしているからに過ぎないのではないだろうか。

リンゴが落ちるさまを見つめていたほうが、まだしも有益そうだ。

 

リンゴが落ちるところを目撃したことはないし、ニュートンのエピソード自体が後世の創作だとも聞くけれど。

 

 

おしまい。

 

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