Resonance

快復への道のり

関係価値

阿佐ヶ谷のその小さな映画館に足を運ぶのは、これが2度目だ。

 

日本の美しさを切り取るような、映像歳時記、の名を冠したその作品は、日本のおじいちゃんと旅するNY生まれNY育ちの女の子。

とはいえ、女の子の声がナレーションに入るのみで、おじいちゃんと女の子は出てこない。

 

平易な英語で語られる旅の思い出は、字幕がつくのだけど、あくまで字幕を追わず、画面の中に時折写り込んでしまう文字情報にも意識をなるべく向けないようにしながら、情景と、環境音を楽しんだ。

意識的に注意を逸らしてもなお、意味として捉えようとしてしまう程には、文字情報には伝達力がある。

そういうインプットを処理する頭が疲れたからこそ、この作品をもう一度観に来たのだ。

 

 

上演が終わると、前回舞台挨拶に立たれていたプロデューサーさんがいらっしゃったので、お声掛けしてみた。「今日は監督も来てるから、紹介しますよ」から、「蕎麦でも食いに行かない?」までトントン進んだ。

もちろん、よろこんで。

 

プロデューサーさんの息子さん、旧友の男性、監督とその旧友の女性、そして僕というなんだか不思議な巡り合わせ。それぞれのご友人たちも、たまたま今日足を運んだだけで、行くとも伝えていなかったという。

 

映像の作り方やら、撮影のエピソード、ストーリーの決め方、なぜ英語のナレーションにしたのか、作り手としての様々な思いが聞けたのだけれど、特に印象的だったのは「関係価値」の話だ。

 

興行期間中の土日月は、プロデューサーさんが上映に先立って挨拶を述べられて、その都度作品を一緒に観て、上映後には観客の方と話されていたそうだ。

そして、この作品はDVDにはしないよ、と。

僕はお客さんと作り手としての関係価値を大切にしたいからね。ばら撒いちゃうと僕らの手を離れて、ただの商品になってしまうから、というようなことだったと思う。

 

監督は、どこに所属しているのかハッキリしないような隙間時間に出会った人やモノが凄く影響が大きいんだよ、って。頷くばかりだ。今の僕がまさにその只中にいるのだから。

 

プロデューサーさんが管理しているという、長野の山荘にもぜひ遊びに来てよ、と誘ってくださった。

監督とふたり、制作の為に泊まり込んでいた場所だそうだ。

妻と一緒に行けたら、良いな。

 

 

こんなマジメな話題を挟みつつも、昼間からビールをかっ食らった男たちが猥雑な話をしている時間が半分だったけど。僕は飲んでいないが、とてもとても楽しかった。

 

監督が「こんなにも素晴らしい映画を作った方は、心の綺麗な人なんでしょうね、なんて言われるたびにむず痒いわ〜」という程には、俗な制作秘話だらけの集まりだった。

 

 

あの場にいられたことに感謝する。

広告を非表示にする