読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Resonance

快復への道のり

縦の関係、横の関係

1時過ぎてからようやく眠りにつこうか、というような感じだったのだが、4時にはもう目覚めてしまった。

ちょっと眩暈かな、というくらいには疲労感あるのにな。どうしたんだろうか。

 

悪癖なのはわかっていながらだが、スマホを手に取ってしまう。

 

カウンセリングでのやりとりが、じわじわとくすぶっているのかもしれない。弟の誕生前後の家族との関わり方の変化について、色々と掘り出した50分間だった。

 

僕が4歳の頃に母が弟を身ごもり、同居していた曽祖母が危篤状態となって自宅で往診を受けるようになり、そして亡くなった。通夜から納棺、出棺、火葬まで、結構鮮明に覚えている。

しかし何故だか、弟の出産を控えた母の姿は、あまり記憶にない。

曽祖母の危篤から一連の葬儀、そして弟の誕生に至るまでの数ヶ月は、母方の実家に預けられていた。幼稚園の通園バスも、その家の前に迎えに来てくれた。

 

僕は両家にとっての初孫であったおかげで、どちらの家からも、特にふたりの祖父からは、とても可愛がられて、毎週末のようにどこかしらに連れられて、結構な遠出もかなり頻繁にしていた。そんなことが可能なくらいには、母方の実家は近い場所にある。

母の両親は、おそらく娘の嫁ぎ先がなにかと多忙だろうから、孫はうちでしばらく預かるよ、という形で申し出てくれたのではないだろうか。

預けられる以前から、ふらっと連れて行かれて、夕方まで楽しく過ごしたという思い出ばかりだ。母親の兄にあたる伯父は、まだ伯母と結婚する以前だったこともあって、我が子のように扱ってくれたように思う。

 

そんなような具合に4歳の後半まで育てられてきたのだから、満ち足りていて、でも、一緒に遊べる兄弟や従兄弟はいないという中で、ひとりっ子としての自我を身につけたのだろうと思う。

 

そして、幼心の中にかなり鮮烈に残る形での曽祖母とのお別れと、突然のように誕生したわが弟。

曽祖母がいなくなってしまったという事実と、お兄ちゃんになる、ということがどういう事なのか、分かっていなかったこと。両家にとっても、第二子が産まれるとはどういうことなのか、あまり分かってはいなかったこと。

父には弟がいるので、祖父母はそれなりに分かっていたはずだが、父親は子育てに向かない口下手な性格であったし、母親にとっては、なにより待望の弟、というところだろうか。

僕が弟と5歳も離れているのは、母親が僕を産んだ後、死産を経験しているからで、それがかなり辛い経験だったであろうことは、今なおその出来事について誰もが話題にしないことからも察せられる。

 

かくして、5歳にしてひとりっ子ではなくなってしまった自分。

ひとりで遊んで過ごすということはすでに身についていたし、それで寂しいとは感じていなかったが、それで却って弟が愛情と注目を一身に集めているということを目の当たりにして、急に寂しさを感じたのかもしれない。

 

うむ、やはりこのテーマ、この調子で語ると途轍もなくながくなりそうだ。

気が向いたら、また後日に。