Resonance

快復への道のり

揮発性メモ

そんなタイトルのテキストサイトがその昔、あった。

 

前にも同じ観点から書いたかもしれないけれど、改めて、いろいろなところに書いたりしている記録が、媒体としては個人的にどう見えているのか、書き出してみる。

 

揮発性:Twitter, Medium, Google+

不揮発性:HTML, Facebook, はてなblog, Instagram

中間的:手書き, mixi

 

Twitterはもう、書き流している。整合も問わないし、変節していようが、脱字してようが、事実と異なろうが、そこまで担保しない。ブツブツ呟いているだけだ。

Mediumは主体的に使いこなせば不揮発性のメディアなのだろうけど、他のユーザーの記事にコメントするか、エアリプとして書き置くかという使い方をしているので、揮発性の高い状態。

Google+は、気になった時事ニュースのリンクに所感を数行添える程度の使い方なので、ニュースサイトのリンクが切れたら、なにがなんだか、になるだろう。そういう意味で、揮発性が高い。コメントがつかない限り読み返すこともほぼない。

 

不揮発性の最上位はHTML。Dissonanceとして書き溜めたものは、今やアーカイブの形でしか残していないけれど、フォーマットも自分だし、コメントが入り込む余地はないし、何より不変で不滅であるように、バックアップを多重にとっている。読み返すことは、今はないけれど、むしろ、読み返してばかりいたので、あの頃の出来事の方が、ここ数年の出来事よりもかえって鮮明だったり、時系列がはっきりする。

Facebookは、HTML形式で書いてたものの後継に近い存在なので、いつまでも不滅であってほしい。ただ、様々な社会的制約を感じながら書いているのは確かなんだけれど。SNSとしての機能は、使ってはいるけれども。

はてなblogは、Facebookの補完に近いのかもしれない。内容や文字数や更新時間や更新頻度に制約を感じることもないし。これってけっこう重要だ。Facebookは努めて明るく、という暗黙の何かを感じるし、下手に真夜中に書くことも憚られる。

Instagramは、よくわからない。写真アルバムだろうか。いずれ他の媒体に吸収されてしまうかもしれない(今現在でさえ、Facebook傘下だが)という点で、それ程の不揮発性を期待しているわけでもない。

 

手書きは、中間的だ。思いつくがままに書いていて、読み返すことはほとんどないけれど、一応取っておいてある。引っ越すたびに実家に送るので、今、手元にあるのは、ここ2年以内のものだ。他の媒体(たとえば、今ならはてなblog)に書けたなら、敢えて書くこともないので、不連続な日記の形式をとっている。インクもゲルボールペンなので、10年もしたら読めないのかもしれない。日に晒されることはないはずだけど。

mixiは、失われつつある過去史。なにを書いていたかは記憶にほとんど無いし、初めてのSNSとして、なにを書くべきか定まっていなかったし、Twitterに移行するまでの繋ぎのような存在なのではないだろうか。おそらく、まだログインできるはずだ。そこで繋がった縁も、不思議と今に繋がっているから、貴重なものではあるのだけれど、僕の中ではサービス終了と共に揮発するに任せる存在。

 

Tumblrはこれらにはふくめなかったが、リブログかスキをつけるか、いずれかしか使っていない。

 

さて、思いの外たくさん書いてしまったな。

広告を非表示にする