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Resonance

快復への道のり

迷い歩き、と傘

まだまだカウンセリングまでの時間はあったので、どっちへ行こうかと思いながら、とりあえず、クリニック最寄駅の方へ。

 

大学のキャンパスにめり込むように残された、小さなお社は、丁寧に掃き清められていた。

 

学園祭の賑やかさを遠くに聞きながら、今度は遠ざかるように南下。まだまだ時間はある。

この辺りなら、万一迷ってもひたすらまっすぐ進めば、どこかの路線に突き当たるし、雨はもう酷くならなさそうだし、と思いながら、時折ぱらつく雨に、傘を開いたり閉じたり。

 

思えば、傘の使い方、雨のしのぎ方だって、誰かしらに教わってきたのだ、と、歩きながら思った。

そして、会社社会の中での、いわば雨のしのぎ方は、特に教えられることもなかったし、教えを請うこともしなかったし、さらに言えば、雨が降るなら、濡れるのを耐えしのげば、いつかは止むだろう、くらいに考えていたように思った。

何度肺炎をこじらせても、雨のしのぎ方を学ぼうとせずひたすら耐えることを選び続けてしまった、愚かな何年間か。

それも過ぎてしまったことだけどね、と、雨のしのぎ方を学びつつあるように思う。

 

ま、現実的にも、傘の使い方、下手なんで、よくズボンの裾を濡らしてしまうのだけど。

 

 

気がつけば、つい先週きた街で、こんな道の繋がり方をしていて、こんなに近かったなんて、と。

先日は、兼務社例大祭で出払われていて、いただくことが出来なかった御朱印を頂戴することが出来た。

これもまた、ご縁なのだろう。

 

 

そろそろ、カウンセリングの時間に合わせて戻るか、と思いつつ、池のほとりに出た。

水辺はこころ安らぐ。特に、穏やかな波紋が広がるような場所は。ゆらぎが、好きだ。

 

池のほとりにあるお社でも御朱印を受けられることは知っていたので、時間を気にしながらも、こころ落ち着けて、手水を取り、静かに拝する。

 

社務所を兼ねたご自宅を訪ねると、ご高齢の男性が筆をとってくださった。

1500年前から鎮座してます、とお聞きした。

古事記の成立年代よりさらに2世紀ばかり遡ることになる。

 

神道はひとつの生き方、みたいなものじゃないだろうか。このあたりの話は、もう少し詳しくなってから考えよう。

 

やや早足で、カウンセリングに間に合い、穏やかな空気の中、いつもより主体的に話しているな、と感じた。

 

自分を押し殺してでも、上司になにひとつ助けを求めずに病んでいったのは、ひょっとすると、親との関わり方に由来するのかも、と自分でたどり着いた結論に、カウンセラーは特に否定も肯定もしなかった。

 

 

そんな気づきを得た。

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