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Resonance

快復への道のり

無邪気さ

どうにも、この時間に目覚めてしまう。

 

いわゆる中途覚醒という現象で、睡眠障害の典型的なパターン。入眠に支障があるわけでもないし、そのままどうしても眠ることが出来ない、というほどには困っていないので、ゆくゆくはなくしたいにせよ、ま、そんなこともあるよね、程度には開き直れる。

 

そんなタイミングでiPhoneに手が伸びてしまうのは、ちょっと良くないのも分かっちゃいるけど、やめられない。

アラームに頼らずに、目覚まし時計買えば簡単解決なのかもしれないけれど、妻と寝室を一つにしているので、あまりデカい音で叩き起こされるのも好ましくはない。特にうちの妻は、不意な大きな音にはびっくりしがちだしね。

 

 

さて、無邪気さ、について。

素直さ、率直さ、と言い直してもいいのかもしれない。

分からんものは分からんし、そんな自分を認めることが出来るのか、そもそも葛藤が生じるのか、みたいな、感性レベルでの差異なのかもしれないな。

無邪気であることは、ある種、魅力でもあるし、助けてあげたくなる。なにより、この人は多くの優しい人に認められて育ってきたんだろうなぁ、というような、のびやかさ、健やかさを感じさせてくれるような。

 

あざとかったり、計算づくだったり、知ったかぶりだったり、がその対極にあたるのだろうけど、見事にネガティヴな印象。

高度なあざとさは無邪気と見分けがつかないのかもしれないが、でもやはり、天性のものと、そうでないものに対する心の動きは、意外と敏感に嗅ぎ分ける能力を備えている気がするのだが。

 

僕も、出来ることなら無邪気でいたい。

知ったかぶったところで、知る機会を逃すだけなのだから。訊くは一時の恥、に対する心理的障壁を感じなくて済めば良い。

愚者は語り、賢者は聞く、みたいな格言もあるわけだし。

 

僕の知っている世界なんて、ほんの僅かの文章で表せるような範囲のことでしかないのではなかろうか。

ひとりで本を読んで頭でっかちなおりこうさんになってしまうより、優れた考え方や、持ち得ない経験と智識を持った人の話を率直に聞くこと、尋ねること、議論してみることは、自分を拡張させてくれるのではないかと、期待している。

 

 相手もまた、無邪気であれば尚良いのだけれど、それはあまりにも期待しすぎというものだろうか。

 

これからも、出会いや縁を大切にしたいと思うのだ。少しづつであれ、うまく回り始めているような気がする。

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