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Resonance

快復への道のり

相互理解

おはよう、早朝覚醒

たぶん久しぶりに日本酒一合分のアルコールを摂ったせいもあるのだろう、目覚めてしまった。若干寝足りないかな。少し肌寒い明け方。

 

相互理解について考える。

わたしはあなたを理解している、と思うのも思われるのも、ある面では素晴らしく嬉しいことでありながら、不遜な思い上がりでもある、ように思う。

ほとんど誰とも分かり合えない、と思い定めた方が誤解が生まれにくく、心が軽いのではないだろうか。ほとんど誰とも分かり合えない。

 

それでもなお、分かろうとすることはとてもたいせつなこと。分かってもらおうとすることもまた、たいせつなこと。

 

それでもなお、対面しながら、日常接している間柄でさえ、やはり期待したほどの相互理解に達するのは多分に困難なことではある。

理解の度合い、深さも、表面的なものでは、却って歪んだ見方になりかねない。本質的な部分をつかまなければ、日々変わる心情や、その時々の行為、言動で、裏切られたようにすら感じかねない。

 

それでもなお、相互理解をしよう、したい、という共通の了解がなされているのは、安心感をもたらす。

 

 

裏を返そう。

 

一方的な繋がりを求めない、ということも、僕にとっては、気をつけなくてはならないことの一つ。

好きな人や物が多すぎて、と自認する程度には好きな人、好きになる人が多いから、もしかしたら、この人とはお近づきになれるかも、だなんていう身勝手な期待を抱きやすい。

特にネットにおいては、多くの人から見て素晴らしく、個として確立している人に触れる機会がたくさんある。

けれど、そのような人たちにとっては、一方的に好かれることは、多くの場合で、面倒なことだったりする。既に十分に理解者に恵まれているのだから、自ら求めている、だなんていうひとは、まずいないと言っても差し支えない。

Twitterなんて特に間合いが短く、一方的にフォローしているだけなのに、僕はいつの間にかずっと見ている人に親しみを覚えるようになる。アカウントに鍵をかけて、自らを明らかにしないでいながら、favしたり、RTしたりするうちに、勝手に寄り添ってるかのような気に陥りがちだ。

そこに、相互理解はない。

 

勝手に期待を膨らませて、勝手に失望したりしないこと。

僕にとってはたいせつなこと。

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