Resonance

快復への道のり

過食気味

これは、比喩です。

最近に限らず、食べ過ぎるということはほとんどない。残さず食べたら、満腹でした、ということは、あるけれど。

 

さて、今の自分には、色々と許している。

例えば、贅沢に生きること、自分のためだけの時を過ごすことを。

 

18きっぷで気ままに出掛けていたのもそうだし、妻をおいて、京都2泊3日を思うがままに楽しんだことも、気の向くまま美術館を訪れること、120分のアロママッサージを受けること、映画を観ること、読む読まないはさて置き、読みたい本を買うこと、講演を聴きに出かけること、少し上質な食品を摂ること、好きな音楽を聴くこと、カフェや喫茶店で時を過ごすこと。何もかもが、普通に働いている、というだけで、遠慮してしまったり、時間がなくて諦めてしまうことばかりのように思う。

 

一般に、傷病による長期休職の場合には、加入する健康保険組合から傷病手当金が給付される。

しかし、僕は過去の休職時に、給付日数の上限に達しており、今回の休職は最初から無支給だ。

最近、喧伝されている、就労不能に陥った場合に保険金が支給されるタイプの医療保険にも、加入していない。

今の僕には一切の収入がない。

 

それでも、家計を回していけるのは、これまでの個人的な貯蓄を切り崩しているからで、当面は困らないにせよ、そう長くも持たない。

しかし、会社が休むことを許してくれたのだ。僕もまた、好きなように過ごすことを許そうと思った。もちろん、復職を前提として。

 

 

話は逸れてしまったけれど、金銭的な収支のバランスを欠いた中でなお、贅沢を許そうと決めた。自ずから限りのある時間の中での、自分のための贅沢。

 

 

過食気味なのは、冒頭に挙げたようなコンテンツたちだ。思うがままに摂った結果、今やお腹いっぱいなのかもしれないな。少し疲れたのかもしれない。

ひとつひとつのコンテンツを味わいながら過ごしているつもりでも、反芻するだけの時間をおいていないのではないか。

 

なんだか、そんな気分に駆られた、少し天候が下り坂の朝。

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