Resonance

快復への道のり

山深み

京都に思いを馳せている。

山と水のあるところ。

高木正勝が居を構え、evalaが生まれ育ち、名和晃平がスタジオを建て、という場所はなぜそうあるのか。

 

ま、そんな理由を探っても仕方ない。あるものはあるのだから。

 

東京に疲れていても、田舎に憧れるわけでなし。

 

高木正勝とAimerが公演するOKAZAKI LOOPSは、いよいよ明日明後日。たどり着くことは、ないだろうな、たぶん。

つかえ

喉のつかえ。

えづいてしまいそうな異物感。

もちろんそこにはなにもないのだけれど、比喩ではなくて、つかえている感じがする。

 

あちこちの不調が次々に出てくるな。頭痛も起床から就寝までべったりと遷延しているし。

 

なんだかなぁ。

 

17+17

1983年に生まれ、2000年の大半を17歳として過ごし、2017年にはもう17年分年を重ねて過ごしている。

 

17歳の夏、20歳までは生きていないんじゃないか、という妄想に囚われていた。甘美な世界だ。

 

ここひと月は、晴れなのか雨なのかの区別もない。

相対

貧困の影。

 

普通の暮らし、と、相対的貧困が、あまりにも近接してるんじゃないか。しかも、わりと不可逆的な感じがするんだよなぁ。

 

あまり考えたくはないんだけど、持てるものを切り売りしながら生きていくと、貧して、鈍するんじゃないかというもやっとした感じ。

 

動き出すのは、いつからなんだろう。

 

しかし、生産的になるには、気持ちが持ち上がらない。

Flying Tokyo

恵比寿のuniceで、今夜。

訪れることはない。何しろ、マットレスのスプリングのゆらゆらだけで酔ってしまうほどの不調だ。

踏み出す足は一歩一歩があまりに軽く、まるで地についていないみたいだ。

 

堀江貴文の「多動力」をkindleであっという間に読み終えた。地に足のつかない生き方が、これからをつくるみたいなことを書いてる。

ふうむ。そうだろうか。

七曜日

色のない月日を送っていた。

 

平衡感覚が飛んでしまったようななかを、人間としてのバランスまで欠いたままで、とぼとぼと歩いている。

 

今月、森には行けなかった。

蜻蛉の夢

暖かな海の中で、ちっともエサをとれずに、細くまっすぐに伸びているはずの黒い口吻も折れて短くなって、死にそうな魚。

僕は、餌になりそうなジェルの詰まった透明なビニールパックをなぜか持っていて、弱ったその個体を捕まえて、残った口吻を射し込んでやる。

弱り切っていたかに見えた個体は、どんどん飲む速度を上げて、体色が鉛色から、本来の青みを帯びた銀色に輝き、口吻も本来の長さ以上に伸びて、それでも飲み続けたその個体は一瞬、血液と同系色になったあと、膨れ上がり、鱗や鰭の輪郭だけほっそりと残して透明になり、ポロポロと弾け飛んでしまった。

 

まるで蜻蛉には見えなかったけど、そのように感じた、点滴を受けた後の夢。