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Resonance

快復への道のり

移動コスト

僕を阻むもの。

 

金銭、時間、体力、これら皆、コスト。

コスパを追求したいわけじゃないけど、アクセス可能性って移動コストに反比例するよね。

僕の足はあまりにも短い。

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物量の暴力

東京近辺。

 

ダイナミクスはとても好きなのだけれど、食傷気味というべきか、追っかけ追っかけて疲弊している感。

未消化なまま、すぐ次のイベント、展示に目を向け、足を運ぶあたりとかは、ね。

 

このところは、観たいな、訪れたいな、思う展示の半分にもたどり着けていない感。

 

それでもなお、反芻は十分でないのだから、キャパシティを超えてるんだろうな。

 

ひとりで考えるのにもひとりよがりにならざるをえなくて。

 

台中の國家歌劇院はとても良かった。

あそこは一日ゆったり過ごすべきところな気がしたよ。

 

僕も、何気ない会話をしながら、ロングロングドライブして、面白そうなところにぶらりと寄るような旅がしたいんじゃないだろうか。

 

ふにゅん。

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非基因改造

遺伝子組み換えでない」

 

台北、台中の旅から帰ってきた。

2泊。

 

國家歌劇院に行けたので満足であった。伊東豊雄の手掛けた、有機的な、泡状の、空間。

 

台湾の良さを語るのは、ありきたりだけど、ユルさと親しみ、そして整ってるところじゃないだろうか。

あれだけ雑然とした夜市を抱えながらも、MRTは非常に明瞭にデザインされていて、英語表記も申し訳程度ではなく、実にはっきりと対等に扱われている。それが、台北市立の動物園のちょっとしたプレートであってでも、だ。

 

なにより、ゆったりしているし、緑が色濃く、ちゃんと街路樹が手入れされている。メンテナンスの大切さも、ちゃんと分かっていて、誰が責任を負うのかも、明示されている。

たとえば、建築現場に掲げられた工事許可の表示に、騒音などのクレームを入れるべき電話番号を表記していたり、市や国がどれだけの予算をその工事に投じているかまで、調べるまでもなく書いてあるあたりであるとか。

 

そして、仕事はほどほどに、合間の休憩であるとか、なんならペットボトルでたまにお茶飲みながら高鐡のチケットを発券している窓口スタッフであるとか。

根性とか、滅私とか、お客様の為に、とかいうものの前に、ここはもっと大切にするべきものだ、というものがよくわかっているんじゃないかな。

 

我も人なり、彼も人なり。

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戒む

戒名を生前にいただいていたという曾祖母が出棺されて、僕はまた東京駅に戻ってきた。

 

128人の血縁者、姻戚をつないだ曾祖母。

この正月に特養で顔を合わせた時に、十分予見出来ていたことではあったし、大往生ということもあって、悲しい式には、僕の中ではならなかった。

 

「體に気をつけて」「塩梅よくやりなさい」という言葉は何度も口にしていた。

 

さて、僕にはできるだろうか。

 

のぞみで帰ってくる車窓の景色のぼんやり眺めているだけでは、うまく反芻しきれなかった。

 

そして明日からは台湾だ。

どうなるのだろうか。

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ことわり。

 

曾祖母の通夜で実家に帰省している。

曹洞宗のお経は、書き下されていて、読経を聞きながらでも意味するところは伝わる。

 

逢った者が離れるのも理。

 

戒名の前に添えられた「新帰元」の号は、大地に還る、という輪廻を指しているそうだ。

 

生かされている。

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logging

マストドン界隈、というものが急速に立ち上がって拡散していってるさまをみても、変化に加速度が付随しているのがわかる。

 

ログなんてなかったら、一年前のことどころか、一ヶ月前だってロクに思い出せやしない。

これが一週間前になり、一日前になるのだろうし、なりつつある。

 

加速度的な時間の中で、旧来のものに習熟することも、新規なものを生み出すこともできないというのは、過酷だな。

 

赤の女王仮説

その場に立ち止まりたいのならば、走り続けなさい。それも、ますます速く走り続けなさい。

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綴る

手書きする習慣を失いつつある。

ここを作ったから、というのもあるのだけど。

 

今年こそは自分のスケジュールを管理しよう、と買い直した手帳も、結局は使ってないな。

 

言葉が跳ね返る。

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