Resonance

快復への道のり

追憶の恵比寿

昨日は、WAITINGROOMというギャラリーにも足を運んだのだった。

 

恵比寿から渋谷方面へ、山手線の外側を行く道の、五叉路の。

 

恵比寿には、いろんなものが詰まっている。

ボウモアグレンリヴェット、グレンフィデックといったウイスキーの味を覚えたのも、駒沢通りを進んだ先のUNITも、あの人やあの人に会ったのも、NADiffの本店が移ってきたのも、今も生き抜いている数少ないスポーツバーも、あの跨線橋も、代官山へ上る坂道の途中のあの店も、写真美術館やそれにまつわる数々のイベントも、Sońar Sound Tokyoも、あれもこれも、rzmの事務所もな。渋谷川沿いのcotiはまだあるみたいだ。

 

たぶん、もうそれほどは、恵比寿にまつわる何かは増えないのだろうと思う。

なんだか、平板で、煙たくて、煤けた街に変わってしまったような気がした。

 

街も、僕も、変わった。

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地下茎

これは、たぶんどこかで読んだ話からの孫引き、みたいなことになるのだろう。

 

蓮は、あの美しい花を咲かせているその下の、泥濘の中に絡み合った、人目に触れることもない地下茎のほんのひとときの発露なんだよ、って。

 

ここ数年、作品に心奪われ続けているRhizomatiksの語源、Rhizomeは地下茎、らしい。

 

死んで花実が咲くものか、みたいな言い回しもあるけれど、蓮だっていつもいつも咲いてるわけでもなし、年間を通じてほんのひとときだよ。

 

同じく地下茎で殖える竹は、60年や80年とも言われる長い長い年月の末に、全国で一斉に花実をつけて、そして枯れてしまうそうだ。

 

そんなことも、ある。

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依存症

うーん、これは結構根深い話で、個人的に。

 

薬物ではなくて、対人的な依存ね。

自立、自律の力を失うと、人に寄りかかりたくなる。そして、寄りかかる。

 

片利共生みたいなものだから、相手にとっては負担でしかない。これが相利共生だったら、それはそれで共依存なわけで、どこにも行けなくなる。

 

もうこれは、ひとりでとことんどん底を這うような気分に腰を据えて居座ることにするしかないのではないだろうか。

 

社会性、というか、人的交流があまりにも、あまりにも乏しいな。

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layer

アルフォンス・ミュシャの作品を眺めに、新国立美術館

 

金曜だけ20時まで延長してるから、少しは空いているだろうと、18時あたりから。

 

リトグラフの印象を強く持っていたのだけれど、テンペラ画を手がけてもいたのだ。

ルネッサンス期の力強い肉体描写にも似た、スラヴ叙事詩の作品たち。

地に生きる人々と、天に在る存在、を異なるレイヤーに載せて描き上げたような、構図。

どちらの世界も非常に明瞭で細密な描写でありながら、天に在る存在は、地上の者たちには見えず、また、人々を眺め下ろすわけでもなく、ただ祈りを捧げている、あるいは、戯れているかのようだった。

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平べったい黒い鳥が頭の中でバタバタやってて、3つ以上はうまく数えられないんだ。

 

そんなことを鼠が手紙の中で書いていたように思う。星を負う羊の写真を「僕」に託す手紙。

 

そんな明確な形をとった抽象的なものが思考を遮る、なんてことはないのだけれど、うまくものが考えられない。

 

鼠にあって僕にないものは数え上げるのも面倒だ。そして、鼠は、創作された人物だし、そもそも人物ではないのかもしれない。

 

何かに比べたら、個人の悩みなんて、小さなものだ。とはいえど、「悩み」に比較可能なサイズなどというものがあるだろうか。

また、他人と不幸自慢しあうようなものでもない。何かに比べてマシとか、急ぐ必要はないとか、そういうものでもないのではないだろうか。

 

とても自己中心的な発想だとは思うけれど、これはどこまでも僕の問題であって、誰かが肩がわりできるようなものでもないのだ。

 

つかれてるな。

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トバカタストロフ

考えているようで、考えていない。

 

そうだね。考えなくてもいいことばかりを考え、考えなければならないことを考えない。

 

せかいをさがしにゆきたいな。

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実験的に生きる

再現性が取れないから、実験とはいえないのだろうけど、生き方を選びなおすっていうことは試行と錯誤の繰り返しなのだろう。

当たり前すぎて何言っているの、という感じもするけど。

 

大きな何かに向かって生きる、というような野望もないから、人に語るようなことはなにもないのだけど、のんびり気楽に生きていたいと願うのは、そんなに後ろ向きなことなんだろうか。

 

誰かの赦しが必要なわけもないのに、なぜだか一生懸命に言い訳しなくてはいけないような気がするあたり、自分にくつろぐのはむつかしいようだ。

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