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Resonance

快復への道のり

自由落下

僕の静止ポテンシャルは、人との相対的な位置関係でいうと幾分低めのところにあって。

 

なぜそうなったのか、ということについては推論に頼るほかはないし、さして重要とは思わないけれど、育ちの影響だろうね。

 

つまり、人並みに、コミュニケーションを図るためには、いくらかでも持ち上げてやらないと波長みたいなものが合わなくて。

そのために持ち上げて、保持するためのエネルギーをどこからか汲み上げてくることになる。

そして、ふっと気を抜くと、自由落下のごとくすとんと落ちて、ベースラインよりもさらに下に行ってしまうこともある。

ソフトランディングさせるためには、いくらかでも保持しながら下げてやらないと、自由落下に任せて落ちたポテンシャルを通常時にひきあげるのにもまた、時間とエネルギーを要することになる。これが、低いところであればあるほど、持ち上げにくいのだよ。

感覚的には伝わるとおもうのだけど、ね。

 

なんていう、またちょっとした言い訳。

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伐倒

初めて生木の立木を伐倒した。

 

少なくとも僕が生まれるよりも前に根を下ろした檜を、狙った方向に伐倒。

 

受け口を作り、ツルを残して追い口を突っ込み切りで開け、最後に追いヅルをひと思いに切り込んだら、めしめしっと嘶くようにして、ずどんと地に落ちた。何十年分もの生長を、僕が慣れぬ手つきで切り込んでも、ものの数分。

 

斜面の上方向に狙い定めて倒しているので、加速度がそれほど乗らないうちに着地はするけれど、直撃したら間違いなく脳天かち割れるな、というトン単位の地響き。

 

これを生業とするというのは、森を活かしも殺しもするな、という感慨。

 

どの木を払ったら、残された木がどう育つか、選木がとても大切、ということ。

 

チェンソーのエンジンを止めたら、そこにはまた、森閑が満ちていた。

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妄想

実現性の乏しいことを考えるのは、好きかもしれない。

 

ここ数日間の心のうちを占めているのは、いかに今の自分が身を置いている状態、その連続性を断絶させるか、ということ。

 

生死不明な状態が3年を超えると、民法上は死亡扱いになるらしい。ただし、行方不明とは違うから、自分が生きていることがトラッキングできるものから、すべて離れるということになる。

すなわち、銀行口座からの出金もできなければ、クレジットカードも使えず、携帯電話のアクセス履歴も残せず、もちろん入出国は出来ないし、保険証も使えない。

知人に誰一人会わないということは可能だろうか。職務質問をまったく受けずに過ごすことはできるのか。住民票が必要な事態にはならないのか。

 

地球上のどこであれ、他人の手を借りずに、身分を明らかにせずに、生きていくのは相当に難しそうだな。

 

社会的な動物の一個体でしかないのだ。

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自分にくつろぐ

年単位で、というか、何年か前に思いついた言い回しで、課題としていることのひとつ。

課題になるからには、今の、その時の自分に十分にはくつろげていない、ということなのだろうけれど。

 

欲深いので、何事にも満足しないし、ほとんどいつも足りない側面ばかりを眺めるからこそくつろげていない、というように解しているのだけれど、それがなかったら成長もないよね、という。

成長し続けることがよいことなのかは、疑問もあるし、おのずから限界もあることは承知で、それでもなお求めるからくつろげないこともまた、分かってはいるつもりなのだが。

 

知足、という言葉もある。

現代の日本に生きている、というだけで、世界の上位何パーセントかに入るような幸福な部類なのかもしれないけれど、いやはや、本当に欲深い生き物ですよ。

 

絶えず、誰かに対する言い訳を考え続けているのも、現状には満足していないからこそで、もう、自分にあれこれ要求したくないのだと思う。

 

彼我の差ばかりに注目してしまうし、それが原動力となって燃えるタイプの人もいるのだろうけど、僕自身にそれを求めるのは酷なんじゃないのか。

 

ワークライフバランス、なんて体のいい言葉もあるけれど、1日に8時間も、7日のうち5日も、持って行かれたくはないんですよ。

 

あ、結局、負の側面ばかり書いてるな。

そういう決まりだから、とか、みんなは出来てるんだから、というのはご勘弁願いたい。

 

こんな時間にこんなこと考えてたら、そら出勤も辛いわ。

 

眠りの中に救いはない、とは言うけれど、起きてたら救われますか。

 

こんなこと書きたくもないが、これが今の僕。

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void

450nmの光について書いてはみたものの、詮のない話すぎて破棄した。

 

踊れ、軽やかに。

 

そうだ、ハノーファーで開かれているCeBIT2017でのオープニングアクト森山未來×ELEVENPLAY×Rhizomatiks Researchをネット配信で観たのだった。

録画でも観られるのだけれど、日本時間の午前4時過ぎから始まったダンスパフォーマンスは、うん、どう伝えたらいいのだろう。

森山未來のダンスパフォーマンスを観るのは、昨年のOKAZAKI LOOPSのVESSELという演目以来2度目で、あの時は本当に最後の最後まで、どれが森山未來なのかわからなかった。それは、ヘッドレスという、顔を決して観客に見せないポージングで延々と演じているから、ということもあったのだけれど。あの時は、男女の区別すらつかなかった。

今回は導入から一貫して森山未來を中心に、ELEVENPLAYはあくまでバックダンサーだった。

 

青山のSpiralでELEVENPLAY×Rhizomatiks Researchが演じたborderは、ヘッドマウントを通じてAR/VR/現実が切り替わりながら、WHILLに座らされ、ダンサーとオブジェクトの中を移動する形での鑑賞だったけれど、今回は会場に並ぶ何百人もの観衆を相手に、AR/VRを投影するスクリーンを背に、ELEVENPLAYが操るオブジェクトにはプロジェクションマッピングを行うという、要素技術盛り盛りの演出。

前日にはICCで、ART+COM/Rhizomatiks Researchの展示を再び訪れて、ELEVENPLAYとの共作シリーズも映像で観ることができたので、この6年で技術的精度がどれだけ高まったかわかる。

 

なんて、ほとんどRhizomatiks Research視点でしか観てないじゃん。

 

ART+COMもドイツの企業なので、いつか眺めに行けるといいのだけど、ヨーロッパでメディアアートを扱ってるところってどこなんだろう。

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開かれた問い

問いにはおそらく2つのタイプがあって。

 

ひとつは、折に触れて思い返すもの。

もうひとつは、課題解決を目指すもの。

 

後者は自分で編み出すまでもなく、また、考えている猶予も十分でないことの方が多く、瑣末なこと、決断を要すること、具体的な行動と成果に反映されることを求められたり、求めたりすることになる。

これはいわば閉じた問い、なのだろう。

 

前者は、実用性はないのかもしれないのだけれど、後者にはないものたちを多く含んでいるように思う。開かれた問いにこそ、時間をかけて思いを巡らせて、温めておきたいとおもうのだ。

 

物事には不可逆的な時系列があることは、所与の条件なのだけれど。

はてさて。

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旅の中にあるということ

旅に出たい、と思っている。

 

二足歩行で。

旅なので、長く歩くことは目的ではない。

こっそり夜中に誰にも告げずに、歩き始めるとして、真に知らない土地にはどれくらいでたどり着くだろう。

 

紀伊半島の先端の方はほとんど知らないな。山陽道も岡山から先は知らない。しまなみ海道を渡れば、四国にも行ける。関門海峡は海底トンネルを歩いて渡ることもできる。

 

はてさて、そんな時はいつやってくるのだろうか。