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Resonance

快復への道のり

東京都

東の京都へ。

自宅は荒川越えるけどね…

 

ああもうなんだか、落差が、凄いわ。

なんで帰ってきちゃったかなぁ…

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無間

むけん。

 

自分の為に存在している他者など存在しないこと。

自分のしたいことが他者の望むこととは擦り合わないこと。

自分のしたいこと、がそもそも強固ではないこと。

手に入れたいものは、半分も手に入らないこと。

時間は待ってはくれないこと。

明日や明後日についても、断言はできないこと。

不確実性は他人には理解を得られにくいこと。

銭勘定で世の中まわっていること。

可能性とは、年齢とともに狭まると広く考えられていること。

相談もしないのに助言したがる人は、責任を負わないこと。

なにが正しかったのかは、結果論でしかないこと。

それでも正しい生き方をもとめる人が大半であること。

人には果たすべきことがあるべきだと思われていること。

裏付けのない主張は受け入れられないこと。

 

まあ、なんとなくだけど、凝り固まりすぎて、人間関係も狭まるわけだわ。

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不如意

ふにょい。

 

考えないように、考えを反芻しないように、感覚を開いて、足裏や肌で感じることを大切に、と思っての滞在なのだが、文字があれば読んでしまうし、読めば意味を考えるし、それにつながる何かに思考が飛んだり、まつわる過去を掘り起こしたりしてしまいがち。

 

原生林の中だったりに行かない限りは、絶えずこの繰り返しかと思うと、脳の不出来さに絶望に近いものを覚える。

言語野をマスキングしてふらふらっと行けないものだろうか。

 

 

東本願寺は、真宗大谷派の総本山で、父方の曽祖母の葬儀にまつわる何かで雨の中、車で来たことを覚えている。

「今、命が私を生きている」みたいな標語が、でかでかと掲出されていたのだけれど、ドーキンスのいう利己的な遺伝子の乗り物か、はたまたミームのドライブする器か。

 

VESSELっていう演目を見たのも、ロームシアター京都だったな。

 

ああもうなにがなにやら。

目的的に生きることのつらさみたいなのにずっと向き合わされている。というか、離れられなくなってるだけなんだけど。

 

そしてまたこの言葉達も、自分に跳ね返ってくるんだから、困ったものだ。

 

書いて、燃やしてしまうのが良いのかもしれない。

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intoxicate

detoxの対義でいいんだろうか。

 

天然には存在しない薬物を定期的に摂ってなんとなく自分を持ち上げている。ちゃんと処方箋薬だし、保険適用のあるやつね。

 

カフェイン、アルコールにも、効果は期待してないにせよ、影響は受けている。ニコチンの力は借りない。

 

今回滞在しているホテルからは、昨年9月に1泊だけしたANTEROOMがとても近くて、感じの良いバーテンさんと、居心地の良いカウンターもあるので、KYOTOGRAPHIEの協賛プログラムもあることだし、明日チェックアウトだし、ぶらっといってみたけど、なんだか既に出来上がっている雰囲気にのまれて、すすすっと帰ってきてしまった。

アルコールが口にしたいわけでもないし、感傷に浸りたいわけでもないし、なにがなにやら。

 

日常を離れて、というのがテーマだったはずなのだが、いかに自分が自分のままであるかを思い知らされた感がある。

 

なにしてんだろう。

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固有名詞

京都で過ごしている。

 

日常を離れて、Twitterを離れて、名も知らぬ土地を、この足で歩こう、と思って来たのだが。

ほとんど実現できていないので、もういいやこの際、と思って、書くことにした。

 

ラスコー洞窟よりも更に1万6000年ほど古い、人類最古の壁画、ショーヴェ洞窟を360°撮影した映像の中に、時間を忘れて浸りきっていたのは一昨日のことだ。

床に寝そべって、巨大な4Kディスプレイに映される光景を、ただただ眺めていた。

 

スペックに、こだわり過ぎる。

人類最古の、とか、4Kディスプレイ、なんてのは、本質的なことではないのだ。

固有名詞も使い過ぎる。

 

秘密の場所も見つけてしまったし、鴨川も橋15本分くらいは歩いてしまったので、はてさて。

 

余力があれば、奈良市やもっと山深い吉野まで行ってみようか。なんなら石舞台古墳箸墓古墳大神神社春日大社橿原神宮もいいよなぁ、なんて思っていたけれど、欲張りにもほどがあったのだ。

 

なんとなく知ってるよね、ここ、というところを歩き回って、どこでもないここにいる。

 

「地獄はここにありますよ。この、頭の中にね」と、劇中で話していたキャラは、5分後には息絶えている。

そんなのを、烏丸線の中で虐殺器官を読んでいた女性を見て思い浮かべる。

 

そうさねぇ。どこに身を置こうとも、意識ばかりはここにいるのだ。

 

土星リングの内側軌道へのミッションを始めたカッシーニや、既知の地球生命の起源を大幅に遡る化石の発見も、あれもこれも、同時並行的に起きていて、僕はいまここで、何にもならないことを残そうと入力している。

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ここで

此処ではない何処か、はどんなところに身を置いていてもあるわけで。

同時存在的になれない以上は、本当に阿呆みたいだけど、いま、ここ、にしか居られないんだよなぁ。

身体性を喪失したい、とか言っているのもまた、そんな制約から逃れたいという表れ。

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自分に優しく

これ、永遠のテーマかもな。

 

足りないものを指折り数えたところでどうにもならない。

わたしは、わたし自身として、存在している、というだけで充分に満ち足りているのだ。

他に何を望むだろう。

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